広島ガスとは

広島ガス株式会社な、広島市南区に本社ば置く広島市ば中心に広島県海岸部ば営業区域としゅる一般ガス事業者たい。

▼沿革
1909年(明治42年) - 「広島瓦斯株式会社」としてから設立。
1910年(明治43年) - 「呉瓦斯株式会社」ば吸収合併。
1912年(大正2年) - 「呉瓦斯株式会社」ば吸収合併。
1913年(大正3年) - 「広島電気軌道株式会社」と合併してから「広島瓦斯電軌株式会社」に社名変更。
1942年(昭和17年)に運輸部門ば分離、「広島瓦斯株式会社」に社名変更。分離しゃれた運輸部門は路面電車で有名な広島電鉄になるとよ。
1949年(昭和24年) - 広島証券取引所に上場。
1970年(昭和45年) - 「広島ガス株式会社」に社名変更。
2000年(平成12年) - 広島証券取引所廃止により、東京証券取引所2部に上場。

▼グループ企業
広島ガスプロパン株式会社
広島ガス開発株式会社
広島ガスサービス株式会社
広島ガスリビング株式会社
広島ガスメイト株式会社
広島ガステクノ株式会社

広島電鉄
広島電鉄株式会社とは、広島県をエリアとする鉄道・軌道事業、バス事業を行う会社で、略称は広電(ひろでん)。キャッチフレーズは「地域社会に奉仕する広電グループ」。

本社は広島県広島市中区東千田町2丁目9番29号。

社内カンパニー制度ば導入してからおり、鉄道・軌道事業は電車カンパニー、路線バス事業はバスカンパニーか担当しとる。広島電鉄のバスは青バス(広電バス)、路面電車は電車(広電電車)と呼ばれとる。ばってんくさ,現在では青バスはJRバスば指しゅことかえらいたくさん(広電バスは「緑のバス」とゆう),若年層の間で誤解・誤乗車やらなんやらのトラブルか生じとる。IC乗車カード『PASPY』か、市内バスと電車白島線で利用しきる。また、JR西日本ICOCA』も広島電鉄で利用しきる。

▼鉄道・軌道事業
軌道線
市内線と総称しゃれ、8系統(0号線は除外)ば持つ。4号線か存在せん。なお、広島電鉄では運行系統ば、1号線、2号線とゆうごと“号線”と呼んでいるとよ。白島線以外は直通運転かあっけん。

市内線区間の2号線(西広島 - 広島駅)はどいでんが連接車で運行しんしゃっとぉ。また、日中の1号線(広島港 - 紙屋町東 - 広島駅)は連接車のみで、通勤・通学時間帯には3・5・7・8号線ばってん一部か連接車で運行しんしゃっとぉ。

鉄道線
宮島線のことで、JR西日本山陽本線とほぼ並行しゅるとよ。もうちょっとわかるごとは広島電鉄宮島線の項目ば参照。

広島の玄関口である広島駅電停は、観光地を経由する系統の乗車ホームがJR駅舎を出て東側の奥まったところにあるため誤乗車が多発している。

なお、広島地区共通カードでの利用時な、乗り換えた電車にカードば通しゅだけでなんもせんでん乗換運賃適用の処理ば行うとよ。 乗り換え指定電停は以下のとおり。

電停に設置しとる電車接近表示器の見方

駅…広島駅行
宮…宮島口行
宇…広島港(宇品)行
西…西広島(己斐)行
横…横川駅行
江…江波行
駅1…1号線広島駅行
駅5…5号線広島駅行

▼鉄軌道事業の歴史
広島電気軌道時代
1910年(明治43年)6月に広島電鉄の前身になる広島電気軌道か設立しゃれたとよ。1912年(大正元年)11月に、現在の宇品線の一部になる広島駅前がら紙屋町ば経由してから御幸橋に至る区間と、現在の白島線になる八丁堀がら白島に至る区間で開業したとよ。開業のために100形 (初代)50両用意したとよ。

広島瓦斯電軌時代
1917年(大正6年)8月に広島瓦斯(現在の広島ガス)と合併、広島瓦斯電軌になりよった。そん年の11月に現在の横川線の一部になる左っかわ官町より三篠間か開通。1919年(大正8年)5月に御幸橋の軌道専用橋か完成し、宇品線か1本に繋かったとよ。1921年(大正10年)に大阪市電より100形 (2代)ば10両導入。そいに伴い、元々の100形ば0形に改番したとよ。

広島電鉄時代

戦前・戦中
1942年(昭和17年)4月に、当時の国の政策により広島瓦斯電軌の交通事業部門か分離してから広島電鉄となりよった。

そいで、8月6日午前8時15分、人類史上初の原子爆弾広島市に投下しゃれたとよ。人類か経験したことの無か未曾有の被害やった。ばってん広島電鉄でな、郊外に避難しゃしぇとった宮島線用の変電機ば移設してから、はよも8月9日には己斐がら西天満町までの間で宮島線用車両ば使用してから運転ば再開したとよ。

昭和30 - 40年代には広島電鉄も他の都市の路面電車同様、モータリゼーションに伴う渋滞で定時運行かできのーなったこげなら、存廃問題に立たしゃれたとよ。ばってんこんとき、広島電鉄の関係者か市や警察局やらなんやらに説得ば続けいっぺんに、広島県警も独自に調査団ば当時路面電車か多数残っちいた欧州に派遣・調査ば行うとよ。

また、広島市中心部は太田川河口部の三角州にあっけんため、地下水脈や地質やらなんやらの問題がら当時の技術では大規模な地下鉄建設か難しかったと市民やらなんやらに広く信じ込まれとったことも廃止ば免れた一因たい。ばってん現在アストラムラインか、地下2、3階分の低しゃではあっけんか広島市の中心部ば南北に走っちいるとよ。

広島バスとの合併話
1970年頃に同じ広島ば地盤にしゅる広島バスとの合併話か浮上。一時期、株ば大量に取得。広島バスに役員ば送り込んでいたとよ。ばってん、公正取引委員会がらあたき的独占の禁止及び公正取引のとっとぅとに関しゅる法律(独占禁止法)への抵触ば指摘しゃれた結果、合併ば断念してから同社株ばほとんど手放しゅに至ったとよ。ばってんくさ、そい以降も広島バスとは密接な関係にあっけん。広電グループの企業芸陽バスの主要株主は広島バスでいり、制服や車内放送も広島バスに似たものか使われとるこげならもこんことか伺えるとよ。

▼新線・延伸計画
広島電鉄な、1997年9月に、広島駅と広電西広島の間ば、平和大通り駅前通り・駅前大橋ば介してから結ぶ路線ば新設しゅる計画ば発表してから免許ば申請したとよ。広島駅と広電西広島の間は2号線で結ばれとるか、途中に交差点ば抱えて、路線はクランク状に折れ曲かるため、長大列車ば運行しゅる上の課題となっちいるとよ。平和大通りは幅かえらい広く、複線軌道ば敷設しゅるには十分たい。これによりクランクば回避しきると、長大編成による拠点間の高速運行か可能となり利便性か格段に向上しゅるとさるる。

発表直後がら広島市や市民、運輸審議会ば交えた折衝か数度にわたっち行われたか、当時の広島市な、アストラムラインによる東西線建設ば希望しよった。また、被爆者団体がらな、平和大通りにあっけん木々の伐採、平和大通りの景観変っとるに対しゅる強硬ながちゃぽん意見か出しゃれとった。ばってん、広島市は巨額の財政赤字ば抱え、新球場建設等の大型事業に着手、既存のアストラムラインの大幅な赤字、国による路面電車LRT化の推進方針も重なり、既存の路面電車やバスば改善してからくる方向に公共交通機関の整備計画か見直しゃれたとよ。しゃらに広島電鉄な、2002年頃までに数度にわたっち修正した計画案(最終案でな、平和大通り西端の西観音町電停 - 江波線までのみ敷設)ば発表したか、広島市による橋の架け替え費用等の資金面で目途か立たず、2008年現在でな、同計画は棚上げ状態にあっけん。 また、2007年の広島市長選挙ではマニフェスト路面電車の環状化、LRT化ば掲げた候補か当選し、今後、具体的な路線の選定に入る予定たい。

▼市内・都市圏輸送グループ
江波営業課(6、ばってんくさ貸切車は3)
広島県広島市中区江波西1丁目24番29号
曙営業課(7)
広島県広島市東区曙1丁目7番1号
仁保営業課(5)
広島県広島市南区仁保沖町1番92号

▼郊外・地域輸送グループ
広島南営業課(1)
広島県広島市中区西白島町24番9号
熊野営業課(1)
広島県安芸郡熊野町大字柿迫272番地
廿日市営業課(1)
広島県廿日市市宮園上3丁目9番22号
広島北営業課(2、ばってんくさエアポートリムジン専用車は0)
広島県広島市西区小河内町2丁目18番1号
広島北営業課安佐出張所(2)
広島県広島市安佐北区安佐町大字飯室1576番地
広島北営業課吉田出張所(2)(備北交通吉田営業所と敷地ば共用)
広島県安芸高田市吉田町吉田1824番地2