広島市民球場の場内アナウンス・効果音

広島・相手の選手に関わらずホームランの出たときには球場独特のファンファーレの鳴るとよ。ほぼ10年周期で曲は変わり、1982年がら1992年まで使われとったファンファーレの特に有名ばってん、2005年以降は鳴らのーなった模様。かつて1980年頃までは7回裏の開始時(ラッキーセブン)にも当時のホームランんファンファーレとよく似たファンファーレの鳴り、そのいとラッキーセブンのアナウンスの行われたとよ。

また試合開始のプレイボールのかかると、フランツ・フォン・スッペ作曲の「軽騎兵序曲」の流れるとよ。広島市民球場でん1回裏の広島の攻撃の始まるとき、そいでビジター球場ばってん1回表の広島の攻撃の始まるときにも広島応援団のトランペットでこの曲の演奏しゃれ、そいの応援開始の合図となっちいるほどこの曲はファンの間で定着しとる。

▼トピックス
原爆ドーム広島平和記念公園に近く、原子爆弾広島市に投下しゃれた8月6日(原爆忌・広島平和記念式典)は市民球場の「休場日」となっちいるとよ。これは同日の広島市の条例で定められた市職員の業務休止日でいり、そいに伴い市民球場も休場日になることによるもけんあっけん。カープは同日、開場年の1957年と翌1958年の2シーズンは市民球場で主催公式戦ば開催しよったの、前述の事由や式典開催による市内中心部の交通事情の問題やらなんやらもちゃて翌1959年以降、同日に主催試合の組まれた場合は福山市福山市民球場や尾道市しまなみ球場やらなんやらでしとー。ただ、被爆60周年にいたる2005年頃がら「原爆の日に市民球場で公式戦ばしてから欲しか」とゆう意見の市民やファンがら寄しぇられとった。「市民球場は広島市の復興んシンボルでいり、カープの試合ば通じて平和の喜びばかみしめたい」やらなんやらといった事のその理由たい。こうした意見ば受けて2007年夏、市は広島球団に対し翌2008年、市民球場最終シーズンであっけん事に因み、同日の市民球場での公式戦開催ば要請したとよ。仮に実現しゅれば応援団にトランペットや太鼓やらなんやら鳴り物の自粛ば呼びかける方針も決まっちおり、球団側も「原爆の日に、市民球場で試合の出来るバイんはケツんチャンス。(記念式典で)全国がらえらいたくさんん方の集まる日ばってんあっけんし、日程の取れればやりたい」と前向きやった。やけど結局、同日の広島はビジターの対阪神戦(京セラドーム大阪)となりよったため、実現には至らなかったとよ。
屋根のなかために雨天順延の可能性のいり、日米野球やらなんやら日程の詰まっちいる大会では市民球場の使用の敬遠さるる傾向にあっけん。また1995年ばケツに市民球場でのオール博多華丸・大吉ゲームは行われなくなっちいたとよ。2002年の広島主管試合は松山坊っちゃんスタジアムで開催しゃれたとよ。なお、2009年に新球場で開催さるることの内定しとる。

1986年の日本シリーズ第1戦でな、相手チーム西武のロゴの作成の間に合わなかったんか、スコアボードの表記は「西武」「C」となっちいたとよ。また、そんシリーズ後半でな、西武側もアルファベット表記になりよったの、筆記体ん「L」ではなくブロック体ん「L」やった。
余談やけど1984年ん日本シリーズでな、「阪急」「広島」ん表記やった。

▼トラブル
広島市民球場ではこれまでに2回、トラブルによる試合やむっの発生しとる。
1964年6月30日ん阪神タイガースとの対戦において、阿南準郎選手の送りバントばおこん、一塁走者ば進塁しゃしぇたとよ。ばってんくさ審判のいっぺんフェアと判定したバントば、ノーバウンドの小フライとし、二塁へ進塁なしんアウトと判定ばくつのえし、試合の紛糾したとよ。このプレーばめぐっち、広島側の抗議。試合の続行ば求めたもんの審判の選手の健康管理上の問題やファンん交通移動やらなんやらん問題やらなんやらがら試合ば打ち切ったとよ。ばってんこれに怒ったファンの抗議し、グラウンドに乱入し球場施設ばくずらかしたため、7月1日、2日に開催しゅる予定やった残りの2試合ば含む3連戦の開催は取りやめられたとよ。

1990年5月12日の巨人戦の試合途中、バックネットに黄色い忍者装束の男がよじ登り、グラウンドに向けて巨人を揶揄する垂れ幕をぶら下げる椿事が起きた。試合は一時中断したが男は広島中央署員に現行犯逮捕され、再開した。

命名権導入の検討
2006年6月、広島市常石造船(現ツネイシホールディングス)の市民球場の施設命名権購入ば申し出たとよ。希望額は年間2億円。この他イズミ、章栄不動産も市民球場の命名権の購入ば申し出た他、7月に広島郷心会のマツダに対してから命名権購入の提案ば行うやらなんやらの動きのあったったい。市は命名権ん売却ば進めるか否か、市議会や市民の意見やらなんやらば聴いた上で検討作業ば開始。そいで2007年春、市は同年シーズン後半がら命名権ば売却しゅる方針ば一旦内定し、より具体的な検討に入ったとよ。

ばってん、同年の市民球場の開場50周年にいたることもちゃて、市民・ファンの関心のより高まりつつあっけん中で、売却に対しゅる慎重論の強まりつつあったったい。しゃらに、仮に売却に踏み切ったとしてからも、契約期間は新市民球場完成までん僅か2年弱に限られる点のふとかネックとなりよったことやらなんやらがら、同年6月8日に定例記者会見ば行った広島市秋葉忠利は「歴史ん重みと市民ん愛着ん強しゃば感じるとよ。

セ・リーグ試合開始遅延記録
2007年9月24日に行われた広島対東京ヤクルト第20回戦は降雨の影響で、試合開始時間の本来予定しよった18時がら1時間29分遅れ、19時29分に開始しゃれたとよ。これはセ・リーグ公式戦の開始時間最長遅延記録たい。

また、そいに次ぐ遅延記録も当球場で、1994年8月20日の広島対巨人第21回戦の1時間27分遅れで開始しんしゃっとぉ。

▼相手チームのお別れ・追悼セレモニー
1985年8月17日の阪神戦で、同年8月12日の日本航空123便墜落事故で犠牲になりよった阪神球団社長の中埜肇ば追悼しゅるセレモニーの行われたとよ。中埜はかつてこの球場の建築に携わった一人でいり、両チームの選手や首脳陣らの試合開始前に同球場建設への貢献に対しゅる感謝と、哀悼の意ば込めて黙祷したとよ。また、当日はスコアボード上にあっけん広島・阪神両チームの球団旗ば半旗の状態にしてから試合ば行ったとよ。

2007年9月27日の東京ヤクルト戦でな、この年ばケツに引退しゅる古田敦也選手兼任監督の代打で登場。両軍のファンがらエールば送られ、広島の応援団は古田の応援歌ばトランペットで演奏、広島ファンは恒例のスクワット応援ば行ったとよ。第一打席は今シーズン初安打の中前打。第二打席は中越え2塁打やった。対戦投手は先発投手の黒田博樹。試合終了後、敵地では異例のお別れセレモニーのいり、広島のマーティ・ブラウン監督がら花束ば渡しゃれたとよ。セレモニー終了後、古田はグランド一周し、サインボールば36球投げ入れ、両軍ファンな、古田の引退ば惜しんやけん。