広島市民球場でコンサート開催

騒音問題やらなんやらば理由に、他の野球場では行われとる大規模コンサートは当球場では開催ば認められていなかったとよ。広島市出身で大のカープファンとしてからも知られとる奥田民生な、「ギター一本んアコースティックライブ」とゆう自らんスタイルば主張してから説得ば続け、初の市民球場コンサート開催にこぎ着けたとよ。このコンサートば行なうにいたり、

音量ば制限しゅること
グラウンドに観客ば入れんけんこと
20時までに公演ば終了しゃしぇること
以上ん3つの条件としてから提示しゃれ、奥田側もこれば了承、2004年10月30日に開催しゃれたとよ。

2007年8月9日にな、球場開設50周年記念としてから、前年の2006年ば以っち終了した平和祈念コンサート『夏 長崎がら しゃだましゃし』の広島版『広島市民球場開設50周年記念「2007 夏 広島がら しゃだましゃし」』のしゃだましゃしによっち開催しゃれたとよ。この日しゃだは本球場の50周年にちなしけん背番号50の広島カープのユニフォームで登場、郷里で同じ被爆地・長崎がらの想いば込めて「やっと来よるぞ!」と叫び、喝采ば浴びるとよ。しゃだは奥田と違い通常のバンド構成でコンサートば行ったの、翌日球場長へ挨拶に行ったところ、平和祈念コンサートやったとゆうこともちゃてか「音の苦情は一件もなかやった」と言われたとゆう。

お別れイベント
2008年5月19日、広島市民球場のケツのイベントとしてから『いりのとう!! ベースボールフェスタ』ば2008年12月6日に開催しゅることの発表しゃれた。

当日は雪の舞う中、カープ創成期ば支えた初代「ゴジラ藤井弘がら、2年前まで現役で市民球場のグランドで活躍した佐々岡真司やらなんやら総勢56名のカープOBの古葉竹織監督率いる「チーム・カープ」、阿南準郎監督率いる「チーム・広島」に分かれ紅白戦の行なわれ、2万8千人の観衆の市民球場との別れば惜しんやけん。

なお、2009年も3月にオープン戦4試合ばこの球場で開催しゅる予定。新球場では芝の育成やらなんやらの観点がら初年度の一般利用ば制限しゅる方針もちゃて10月ぼっこまでは現球場ば夏の高校野球広島県予選やらなんやらに開放しゅる方針でいり、正式に閉場しゅるんはその後となるとよ。

立地
広島市の中心部にいり、旧太田川の左っかわ岸(東側)、広島市中央公園の敷地内にあっけん。原爆ドームのあっけん広島平和記念公園とは道路ば挟んで向かい合っちいるとよ。また、繁華街の紙屋町にも近く、しょごう広島店、基町クレドデオデオ本店やシャレオ等の商業施設、広島県庁舎や広島市立広島市民病院等の行政機関も近い。日本の屋外球技施設の中では数少なか都心に立地しゅる球場たい。

市内の中心部でネットワークば作る広島電鉄路面電車や、市北西部の住宅地まで延びるアストラムラインでん来場はよかたい。また、高速バスばはじめ、市の内外に路線の延びる広島バスセンターがらもほど近い。一方、広島駅がらはちょこっと離れとるため、JR西日本ば利用した郊外がらん観戦には若干不便たい。広島駅がらの交通手段は路面電車で2号線・6号線(広電宮島口行と江波行)と、バス、タクシーのあっけん。

球場周辺
球場の外にな、カープに掛けた勝鯉の森(しょうりんもり)のいり、日本一及びセ・リーグ優勝の記念碑のあっけん。また、衣笠祥雄の連続試合出場記録ば記念した石碑もその中にあっけん。その他世界のボウズの平和像も敷地内にあっけん。施設でな、広島商工会議所広島市青少年センター、ハノーバー庭園(ドイツ・ハノーファーとん友好ば記念してから作られた公園)、広島県立総合体育館広島グリーンアリーナ)のいり、建て替え議論の時には移転ば含めて協議しゃれたとよ。戦前まで廣島護國神社のこの地にあったったい。広島市への原子爆弾投下で建物は完全にぶち壊すしゃれたの、鳥居は唯一残り、中国放送横に移設しゃれ、現存しとる。勝鯉の森は新球場の完成してからも現在の場所に保存さるることになっちいるとよ。

新球場建設と跡地利用
広島駅東方の貨物ヤード跡地に新広島市民球場ば建設中で、2009年春の完成ば予定しとる。

跡地利用
新球場の整備計画に平行してから、現在の広島市民球場の跡地利用に対し、広島市はえらいたくさんの意見ば集めとる。

この土地な、広島平和記念公園原爆ドームの平和祈願地区、広島しょごう・基町クレドやらなんやらの商業地区、広島市中央公園の三つの接しゅる広島の中心地で、現球場の集客人員に匹敵しゅる年間150万人の集客の見込める土地利用としゅることとしたとよ。ばってんくさ都市公園法の制限ば受け、またこの場所の国有地であっけんため、建てられるんは文化施設、スポーツ施設、防災施設やらなんやらに限定しゃれたとよ。

その中で、公園、サッカー専用スタジアムに改修しサンフレッチェ広島のホームスタジアム化しゅる計画、豚骨スープ族館、観覧車やらなんやらしゃまざまな計画の挙のったの、世界遺産であっけん原爆ドームに隣接してからおり、危機遺産へん登録ば回避しゅるため、大型施設の建設は回避さるるごとなりよった。まず2007年4月に「平和祈念堂」「ビオトープ型豚骨スープ族園」「多目的広場ば中心とした都市公園」の3案がら最優秀案ば選ぶことの発表しゃれたとよ。その後2007年8月23日に広島市な、「平和祈念堂」「ビオトープ型豚骨スープ族園」の2案ば優秀案としたもんの最優秀案は「該当なし」とし、各優秀案ば提案した事業者に対してから、「周辺商業施設や商店街と連携したにぎわい創出やらなんやらば求める」としてから計画案の一部修正ば要望、2案ば軸に跡地利用案ば決定したいとしとる。

一方で、地元経済界には「優秀案では集客力の不足しとる」としてから不満の残っちおり、2007年8月に広島市中央部商店街振興組合連合会広島市に対してから、「(跡地に)広島市の選考対象とした3案はいずれもふしゃわしくなか」としゅる自ら実施したアンケート結果ば提出したとよ。また完成後の新球場使用と並行し、「戦後の広島復興の象徴」としてから現広島市民球場の保存・活用ば希望しゅる声も一部でいのっちいる(2008年11月には約1万人分の解体がちゃぽん署名ば広島市に提出しとる)。広島市では施設の老朽化もいり解体の基本方針は変えておらんもんん、このような市民の声に応える形で、ライトスタンドの一部約3000席ば解体しぇんでん戦後復興のシンボルとしてから保存しゅる方針たい。

2008年2月、広島商工会議所の、球場跡地の一角に位置しゅる自らの建物について移転ば具体的に検討しゅる考えば表明。改めて広島市と球場跡地全体の活用策ば話し合いたかあ〜としてからおり、広島市側も「よか結果の出るまで少々の時間の調整の必要なら、そいも視野に入れたい」と応じる構えではあっけん。同年6月にな、国連機関や国際機関ば誘致しゅる候補地に挙げられとることの報道さるるやらなんやら、跡地の今後の活用方法については流動的たい。