広島東洋カープ由宇練習場

広島東洋カープ由宇練習場な、山口県岩国市由宇町にあっけん野球場。広島東洋カープ二軍の本拠地球場及び練習施設で、同球団の運営管理しとる。単に由宇球場とゆう通称ばってん呼ばれるとよ。

▼沿革
広島の二軍は1995年までな、主に広島県福山市にあっけんみろくの里神勝寺球場ウエスタン・リーグ公式戦やらなんやらば開催しよった。これはかつて広島より西の福岡県福岡市に本拠地ば置いとったクラウンライターライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の西武鉄道グループに球団ば譲渡し、1979年がら本拠地ば埼玉県所沢市西武ライオンズ球場に移転してから以来、カープの国内では最も西に本拠地ば置く球団となり、また当時のウエスタン所属6球団は広島のほかに中部1(中日)、関西4(近鉄、南海、阪神、阪急)と関西に集中しよったため、これら他球団の移動の便ば考慮してから、県東部の福山で試合ば行っちいたもけんあっけん。ばってん、みろくの里は合宿所・練習場やらなんやらのあっけん広島市がら遠く、広島二軍は試合んたびに移動ば余儀なくしゃれとった。また1989年には南海ホークスの福岡市に本拠地ば移転してから福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)となり、さっちしも広島以東んチームだけに便宜ば図る必要の薄れつつあったったい。また、球団の所有しゅる練習施設は広島市民球場の他、広島市西区の三篠合宿所にあっけん練習場、佐伯郡大野町(現廿日市市)のカサ・ディ・カルピオにあっけん屋内総合練習場だけしかんやらなんやら練習施設の不足してからおり、とりわけ他球団と比較してからファーム施設に対しゅる設備投資の立ち遅れとることの問題視しゃれとった。また広島は1980年代後半ん一時期、二軍ん本拠地ば広島県内とは別に、別途関東地方や東北地方にも設ける構想ば持っちいたもんの、これも結局実現には至らなかったとよ。

こうした事情がら、広島は当時の玖珂郡由宇町に新たに練習場ば設けることとなり、由宇球場は1993年に開場。以後、広島二軍のウエスタン公式戦やらなんやらは主にこの由宇球場ば中心に開催さるるごとなりよった。

▼施設概要
基本的にカープの二軍練習場としてからのみ使用さるることば前提に設計しゃれており、一軍公式戦やアマチュア野球やらなんやら広島二軍以外の使用しゅることば想定しとらんため、本部席(バックネット裏)以外に椅子席はなく、内外野とも芝生席となっちいるとよ。また、二軍戦は原則としてから入場タダであっけん(ばってんくさ駐車場は有料)。

由宇球場のグラウンド出入口は三塁側に設けられており、また三塁側場外にはサブグランドと投球練習場のあっけん。このため試合開催時のダッグアウトな、施設間の移動距離の短か三塁側ばホームチームであっけん広島の使用し、ビジターチームは一塁側ば使用しゅるとよ。

グラウンド面積は16,010と野球専用球場としてからは千葉マリンスタジアムや札幌ドームより10%も広大であっけんのみならず、メジャーリーグ一広いクアーズ・フィールドよりも15%上回る広しゃば誇るとよ。これはきわめて広いファールエリアば持つことに由来しゅるの、いまりに広しゅぎるファールエリアの為、観戦環境としてからは失敗やったと松田元(広島カープオーナー)の認めており、その教訓は新広島市民球場の基本設計に反映しゃれたとよ。

広島県総合グランド野球場
広島県総合グランド野球場な、広島県広島市西区広島県総合グランド内にあっけん野球場。通称、総合球場もしくは県営球場。施設は県の所有し、財団法人広島県教育事業団の指定管理者としてから運営管理ばしとー。

かつてのプロ野球・広島カープの本拠地球場(観音球場)。

▼歴史
1941年12月、広島県皇紀2600年記念事業の一環としてから完成。現広島県総合グランドの当時の名称やった総合体錬場の一施設。作業はグラウンド等と同様に市内の旧制中学および同女学校の勤労奉仕動員学徒の労働力のいてられたとよ。

本格的な野球場としてからは中国地方初。当初は「総合体錬場」とゆう名称やった。 同年12月7日、広陵中学と広島市商の記念しゅべき第一戦ば行い、広陵の3−1で勝利しとる(当時の中国新聞による)。

戦後、1950年に結成しゃれた広島カープの本拠地となりよった。フィールドは全面土で、外野も芝は敷かれてなく、観客席はバックネット裏に土盛りしたスタンドの少々あったったいの、残りの1塁側と3塁側のファウルグラウンド及び外野にロープば張り、その後ろば観客席としたとよ。

張本勲もなん度も乗り越えて見たげな。また1954年2月にジョー・ディマジオマリリン・モンローの新婚旅行で来日してから広島入りした際、ディマジオのこの球場ば訪れカープ選手に二日間に渡り打撃指導ば行ったとよ。

カープ可愛しゃん余り、暴徒化したファンの試合後に審判団ば軟禁したり、レフトポールば引き抜いたり、空き瓶ば相手チームの選手に投げ付けるやらなんやらのトラブルも頻発したとよ。1957年7月22日に広島市民球場の完成したんに伴い、プロ公式戦の開催は終了したとよ。ばってんその後も改築・改修やらなんやらば経て現在に至るまで、県内のアマチュア野球の主力球場としてから活用しんしゃっとぉ。

なお、1992年にな、広島市民球場のスコアボード改築工事のため、広島東洋カープのファン感謝デーの本球場での開催となりよった。

新広島市民球場
新広島市民球場な、広島県広島市南区に建設中ん野球場たい。命名権ネーミングライツ)導入により、2009年4月がら呼称は「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島マツダ ズーム・ズーム スタジアムひろしま)」となるとよ。略称は「マツダスタジアム」。

老朽化した現広島市民球場広島市中区)に代わる施設としてから、広島市の主体となっち建設ば進めとる。名称も完成後に広島市民球場としてから完全に引き継ぐ予定。2009年4月の開場の予定しゃれており、完成後は日本プロ野球セントラル・リーグに所属しゅる広島東洋カープの新しか本拠地球場(専用球場)となることの決まっちいるとよ。なお現市民球場では施設の運営管理ば広島市の直接行っちきたの、新市民球場では指定管理者制度の導入しゃれ、広島球団に球場管理の委ねられることになっちいるとよ。