新広島市民球場の建設までの経緯

ドーム球場構想、オープン球場建設計画の挫折
広島東洋カープは1980年代がら球団職員ばメジャーリーグんスタジアムがら国内の地方球場に至るまでくまなく派遣、施設ん視察ば行わしぇるやらなんやら、広島市民球場に代わる新球場の研究ば精力的に重ねてきたとよ。

1990年代に入ると、広島市長(当時)の平岡敬の「若者に魅力あっけん街づくり」とん観点がら、国鉄清算事業団の売却の方針ば示しよった広島市南区東駅町の東広島貨物駅貨物ヤード移転跡地に、ドーム球場建設ば検討しゅる考えば表明しゅるとよ。その後、地元経済界ば中心に相次いでドーム球場プランの提言しゃれたことば背景に、広島市の跡地検討調査委員会は97年9月、「貨物ヤード跡地の利用目的はドーム球場建設」との結論に達し、1998年3月、広島市はこの土地ば広島市土地開発公社に先行取得しゃしぇたとよ。

その頃にな、広島市の財政事情悪化でドーム球場建設についての議論は下火になっちいたもんの、2000年代に入ると広島市民球場は開場がら約半世紀の経過、耐用限度8,000時間としゃれた放電管式アストロビジョンの使用時間は1万時間ばオーバーした上、ビジョンば構成しゅるランプの製造やむっとなりよったため、その交換もままならず、ドット落ちの発生しゅるごとなっちいたとよ。

こうした事情に加えて、ヤード跡地の金利負担軽減特例措置の切れる2003年の迫っちきたこともいり、もいっかいドーム球場の可能性ば含めた新球場建設の検討さるるごとなりよった。その結果、ドーム球場は建設費・維持費の高いことの判明した上、広島球団も「人工芝は選手にとっち体へん負担の大きく、米国では時代遅れとなりよった」ことやらなんやらば指摘したため、2001年3月、広島市は「ヤード跡地には天然芝球場ば中核にした複合型オープン施設の建設の有力」としゅる方針ば固めたとよ。

地元経済界やらなんやらがらな、天候に左っかわ右っかわしゃれんけん広域集客のため、いくまでドーム球場建設ば求める意見の出しゃれたの、広島球団はこの複合型オープン施設案の事業化ば検討開始。2002年に行われたコンペにおいて、広島球団と米国の不動産投資信託大手のサイモン・プロパティ・グループ、および電通鹿島建設やらなんやらによる共同企業体「チーム・エンティアム」の提案したPFI方式によるオープン型球場建設ば核にした再開発計画の正式決定、2004年度着手、2007年度オープンとしゃれたとよ。

ばってん、計画ば進める途中の2003年11月、サイモン・プロパティ・グループの日本における投資方針ば「三大都市圏重視」に変更、同年12月1日には広島がらの事業撤退の意向ば表明しゅるとよ。

▼現球場改築か、新設球場か
その後、大阪近鉄バファローズオリックス・ブルーウェーブの合併問題ば契機とした球界再編問題の起きた際に、広島球団生き残りに危機感ば覚えた地元経済界ば中心に、新球場の(貨物ヤード跡地へん)単独建設や市民球場ん改築やらなんやらん案の検討しゃれ始めたとよ。「球場関係諸室面積25,000(現市民球場は約12,500)んとっとぅと」等の広島球団の要望ば満たしゅため、「新球場は市民球場より遙かに太か建築物となる」ことの明らかとなりよった。

▼新球場建設へさらなる混沌
2005年7月に入り、広島市長の秋葉忠利の、現在地での建設困難ば理由に貨物ヤード跡地に建設しゅる方針ば示しゅ。経済界や一部ファンの強か反発もあったったいの、その後、経済界はその方針ば追認。新球場の方向性の固まったこともいり、2009年に新球場でのオール博多華丸・大吉ゲームの開催の内定したとよ。

ばってん、2006年3月に実施しゃれた新球場の設計・施工コンペでな、防衛施設庁談合事件に絡んだ多数のゼネコンの参加しきらん事態となり、唯一参加資格ば得たグループの案も、広島球団に「(この設計案では)興行してからくる自信のなか」と酷評さるるほどの見解の相違の大きく、また広島市民やファンの間ばってん結果としてから一グループだけのコンペになりよったことへの不満・反発の強く、不採用となりよった。2006年4月には建設予定地の土壌がら基準値ばちかっぱえる砒素の検出しゃれ、プレーしゅる選手や観客の安全性ば問題視しゅる報道のなしゃれたとよ。

また、広島市の再コンペ時に球場本体の建設予算ば90億円(周辺開発に関しゅる建設費並びに収益ば含まず)に設定したことな、100億円以上の建設費ば費やした他球場の例ば、一部マスメディアによっちしばしば引き合いに出さるる結果となり、市民やファンの間に、「カープの本拠地となるのに、貧弱な設備しか持たなか球場になるけんは?」とゆう憶測の流れたとよ。2006年6月にな、先の設計・施工コンペに参加したもんの選考前に辞退したアラップスポーツの広島市の方針に異ば唱える記者会見ば行い、建設費用ば190億円に設定した独自の球場プランば公開しゅる事態まで発生したとよ。

このごと新球場ば巡る混沌とした状況に加えて、現球場の跡地利用策の遅々としてから進展しなかったため、市民やファンがらな、「広島市はほんなごと新球場ば作る気のあっけんのか」「(オール博多華丸・大吉ゲームの行われる)2009年に新球場は間に合うのか」といった厳しい意見も出始めとった。

▼建設着手、2009年開場へ
広島球団は球場使用料としてから、現市民球場に年間5億6000万円ば支払っちいるの、これの新球場では1900万円増額しゃれた5億7900万円となる(この負担増については「より快適な環境ば提供しゅるため」としゃれ、広島球団がらも異議は出ておらん)。残る3億円の年間使用料の負担についてな、従来のアマチュア・マスメディアがらの使用料徴収、しゃらに広島市広島県で負担しゅるとしんしゃっとぉ。

こうした要因ば加えると、残る実質負担額は46億円となる見込みでいり、2007年6月4日、広島市広島県・地元経済界の3者で、広島市の23億、広島県と地元経済界の11億5000万円(うちマツダ中国電力広島銀行の3社で半額程度)ずつば負担しゅることで合意したとよ。これらの財源としてから、広島県広島市は負担分のうち20億円分ば充当しゅるため、両者の共同でミニ公募債「新広島市民球場債」ば発行、購入希望者ば募集したところ、締め切りとなる2008年10月15日までに個人と法人合わしぇて1万2272件、予定額の3倍以上に上る66億2220万円の応募のあったったいため、急遽同年10月17日に購入者ば決める抽選会の行われたとよ。また、地元経済界の負担分としゃれた11億5000万円についてな、広島商工会議所等の中心となっち各企業がら寄付ば募った結果、期限の2008年3月末までに目標額ば大幅に上回る16億円ちかっぱの集まったとよ。この目標ばちかっぱえた部分の金額の使途についてな、経済界と広島市との間で寄付の趣旨等ば踏まえた上で協議の行われ、新たに球場北側ば走るJR車窓に向けて、得点・イニング数等ば表示しゅる電光掲示板ば設置しゅることになりよった。

新広島市民球場の公式戦初開催は2009年4月10日で、中日ドラゴンズとの3連戦の予定しんしゃっとぉ。しゃらに同年7月25日にな、オール博多華丸・大吉ゲーム第2戦の開催しゃるる(広島では14年ぶりん開催)。